| 電車に乗ると、座席が空いていて座ることができました。「あ〜ぁ、座れてよかった」と思っていると、停まる駅 |
| ごとに、だんだんと混んできました。私よりお年を召された方が、私の前にお立ちになりました。私は、わざとらし |
| くではなく、黙って席を立って、席をお譲りしました。その方は「ありがとう」と一言おっしゃってくださって、お |
| 座りになりました。そのまま、目の前に突っ立っていると、ずーっと御礼を言わせることになってしまう、そう思っ |
| て、少し場所を移動しました。同じ車両の扉付近へと移動して立って、こんなことを考えていました。 |
| 「きっと、この車両に乗っている人はみんな、私の席を譲った様子をご覧になって、あぁ、なんてスマートな紳士な |
| んだろう!と思って見ているんだろうなぁ」 |
| などと心の中に、わくわくするようなくすぐったいような思いを抱いていました。 |
| これってどうなんでしょう?もちろん他者に席を譲ることは、すばらしいことですよね。だけどその席を譲った私の |
| 心はどうでしょう?心の中では「オレってどう?なかなかやるでしょう!」などと思っているのです。 |
| 私たちは、自分がなし得たことを、認めてもらいたい、褒めてもらいたいという思いが心の中に渦巻いています。他 |
| の人にすばらしことをしてあげたと思っていても、自分の心の中を考えると、本当にすばらしいことをなし得たなどと |
| 言うことは、到底できそうにありません。 |
| 阿弥陀さまはそのような、私のもともと持っている本性を見抜いてくださって、「そんなあなたをこそ救おう」とお |
| っしゃいました。 |
| このお救いをいただいた上には、善いことをした、すばらしいことをなし得たと思っていても、「でも、本当の意味 |
| では最善じゃあないんだよな。究極的な意味においては、これで十分ではないんだよな」と、そのことを知らされてい |
| ます。 |
| するとそこには、「これじゃあ申し訳ない、もう少し…、もうちょっとだけ…、せめて…」と、さらに努め励んでい |
| くモチベーション(動機)を持たせていただくことになります。 |
| 阿弥陀さまのお救いには、私の努力は一切不要です。 |
| でもそのお救いをいただいた私たちは、救われた上には、「せめて…」「もう少し…」と努め励んでいこうとする心 |
| をいただくのです。 |
| 私の持っているもともとの心は、自慢するのが好きで、しんどいことは怠りがちな心です。こんな私の心のままでは |
| なく、自ら進んでおこなおうとする「たしなむ心」もいただくのです。 |
| これが浄土真宗・阿弥陀さまのお救いです。 |
|
|
|